ハイブリッドコンサルタント

2013年12月17日火曜日

仕事に「自己実現」を求めるな!

((11月27のシェアーズカフェ・オンラインから転記しました)

「仕事を通しての自己実現」というフレーズ、一部に批判はあるものの、すっかり定着してしまったように思います。就活生と話をすると、自分を分析し、自分の軸・やりたいことを発見し、それをやらせてもらえる会社に就職できれば自己実現ができる、と考えている人が多いのに驚きます。たまたま私の周囲にそんな人が多かっただけならいいのですが、ネットなどで就活セミナーの情報を見る限り、そうではないように思えます。 

本当に「仕事を通しての自己実現」を目指さなくてはいけないのでしょうか。仕事の目的は「自己実現」でいいのでしょうか。今回はそのことを考えてみたいと思います。 


そもそも「自己実現」ってなんだろう? 

「自己実現」とは元々、心理学用語です。欲求5段階説の提唱者であるアブラハム・マズローによって理論化されました。欲求の5段階とは、低次から「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」5つです。 




この理論では、人間は人生に究極の目標を定め、その実現のために努力する存在であると想定します。自分の中にある可能性を最大限に開発し実現して生きることが最高次の欲求、つまり「自己実現」だと理論付けしました。 私はこの考え方自体に違和感はありません。人生において「自己実現」を目指すことは悪いことではありません。しかしそれは、仕事を通して求めるべきものなのでしょうか。あるいは、「消費を通しての自己実現」「趣味を通しての自己実現」を目指してはいけないのでしょうか。 


■仕事は誰に向かってやることなのか 

本来から言えば、仕事をする人に「生きがい」や「働きがい」を与えるために仕事があるわけではありません。社会が必要とするから、その仕事の成果を必要とする人がいるから、仕事があるわけです。 

つまり、他人が求める目標や目的に沿って価値を提供する。そしてその対価をいただく。これが仕事を考えるうえではずせない原則です。 

ところが「自己実現」を優先してしまうと、意識が自分に向いてしまいがちになります。自分の「これがしたい」が仕事を進めるうえでの指針になってしまいます。これでは仕事における優先順位をはき違えている、といわれても仕方がありません。 

元マイクロソフト営業部長の田島弓子さんが、近著『「頑張ってるのに報われない」と思ったら読む本』の中でこう語っていました。 



仕事をするうえで目指すべきは「自己実現」ではなく「他己実現」です。(p32) 

仕事で成果をあげたいのなら、一旦「自己実現」という言葉は忘れましょう。「他己実現」のために全力を尽くすのが仕事というものです。 

「仕事で自己実現」など考えず、仕事を生活の糧と考え、「生理的欲求」「安全の欲求」を満たすためにするのだと割り切ることも決して間違っているわけではありません。人類は長い歴史の中のほとんどの期間、「安全の欲求」を満たすために仕事をしてきたのだと言っても過言ではありません。

さらに他人から期待されることに応え、社内に居場所を作ることで「所属と愛の欲求」を満たし、成果を認めてもらうことで「承認の欲求」を満たすことができれば、仕事の報酬としては十分だと考えることもできるのです。自己実現は、仕事以外のことを通して追求することも可能なわけですから。


■なぜ仕事を通じての自己実現を目指してしまうのか 

子供のころ「将来の夢」について考えさせられたり、発表させられたりします。このとき、「将来なりたい職業」を発表するということが暗黙の了解になっていなかったでしょうか。「プロ野球選手」「パイロット」「弁護士」など具体的な職業名をあげることが推奨されます。私が高校時代に思い描いた「山中に庵を結び読書三昧の生活をする」などということは、当然ながら排除されてしまいます。 

就活の時期が来ると、各種セミナーで「自分のやりがいを感じられる仕事」「仕事でなにを成したいのか」ということを考えさせられます。さらに企業側も面接で「入社したらなにをしたいですか?」という質問を用意しています。こうした過程を経て、多くの人は「仕事に生きがいを見出すのだ」「仕事を通しての自己実現」をしなくてはいけないことだと刷り込まれてしまうのではないかと思います。 

しかし、いったん立ち止まって考えてほしい。どんな人も、多かれ少なかれ、やりたいと思っていることが変わっていく、ということを。子供のころの夢を就活の時点で変わらず持ち続ける人は少数派でしょう。そうだとするならが、20代前半で描いた夢もまた、これから変わる可能性が高い、と考えておく方が自然です。 

よく自己啓発書などに「仕事で成功を収めている人で、嫌いなことを仕事にしている人はほとんどいません。」などと書かれていますが、その仕事を最初から目指していたかどうかは人によります。おそらくは、そうではないでしょう。目の前の仕事をやっていく中でやりがいを見出したり、あるいは、以前は思いもつかなかったこと目指すようになったりして、その仕事をしています。 

ですから、20代、就活時点や入社数年の間は、「仕事で自己実現」などと思い詰めず、目の前の仕事に全力を尽くすことを考えたほうがいい。長い目で見ればそのほうが「仕事での自己実現」への近道になり得ると思います。 


■それでも仕事を通して「自己実現」を目指すなら

自己実現とは「自分の中にある可能性を最大限に開発し実現していく」こと、仕事の本質が「他己実現」、だと考えれば、仕事を通して自己実現していく道はこれしかありません。 

「『他己実現』のために、自分の中にある可能性を最大限に開発し実現していく」

 「自己実現」を「私は企画の仕事がしたい」とか「デザインの仕事しかない」などと具体的な業務として考えるのではなく、まずは、上司やお客様といった他人を喜ばせたり楽しませたりするために自分を活かす、と考えてみましょう。 そして最終的には、「企業理念を実現するために自分を活かす」ことを目指しましょう。

企業という組織が「自己実現」すべき理想・目的を示したものが「経営理念」だといえます。 この理念を達成するために自分は何が貢献でいるのか、自分の得意なことをどう活かすことができるのかを考える。会社の大きな目標・目的と個人の目指すものを重ね合わせ、その理念を実現していくプロセスの中で自己実現を考えるようにするのです。デザインをしないと私じゃない、とか、企画の仕事じゃないと私は活きない、などと思い詰めないほしい。それでは世界を狭くするだけだし、自己実現は逆に遠のきます。 

もちろん、留保すべき条件はあります。それはその企業がお題目で企業理念を掲げているのではないこと。本気で、自社の理念に基づいて企業活動を行っているというのが条件です。 企業理念をしっかり掲げ、それを組織に浸透させる努力を怠らず、その理念に基づき社会的な課題の解決を目指しているような企業であれば、その中で努力していくことで自己実現への道は見つかるはずです。

2013年12月3日火曜日

「反対するなら対案を出せ」は正しい意思決定を生むのか?

(この記事は、シェアーズカフェオンラインから転記しました)


「反対するなら対案を出せ」
ある提案がなされ、それに反対する人がいる場合によく耳にするフレーズです。国会でもそうした場面を見かけます。企業の会議でも同じようなことが起きていることも多いのではないでしょうか。

このフレーズ、常に非建設な意見を言って意思決定にブレーキをかけるような人がいる場合には、そうした人をおとなしくさせるという一定の効果はあるでしょう。しかし、問題はないのでしょうか。そもそも「対案を出せ」は意思決定の場で有効なのでしょうか。






■マイナスの効果は考慮していない?

なんらかの問題がありそれを解決する。多くの提案はその目的のために提出されます。当然。プラスの効果を期待しているわけです。ですから、反対者に対案を求めるということは、より大きなプラスの効果がある案を出せ、と言っていることになります。

もちろん、反対者がより効果的な案があると思い原案に反対をしているなら対案を出すべきです。しかし、本当にその原案の方向はプラスの効果を生むという保証はあるのでしょうか。原案がマイナスの効果を生むと考えて反対した場合、求められるのは対案ではありません。まずはこの案をストップさせ、根本から練り直しすることが目的なわけですから、対案など出しようがありません。

この場合に求められるのは、反対の根拠を皆が納得いくように説明することです。対案を出すことではありません。それでもなお対案を求めるとするならば、それは「論点ずらし」と指摘されても仕方がありません。

■情報の非対称性

次に「情報の非対称性」の問題があります。提案者は時間をかけて情報を集めた上で原案を提示します。それに対しその提案を受ける側は、直前にその案を聞かされることがよくあります。起案を指示した上職者には事前の説明をしているでしょうが、その他の参加者は会議の場で初めて内容を知る、という場合も多いのではないかと思います。精査する余裕は与えられていない、ということになります。

こうした場合、提案者が情報を独占している状態にあります。提案発表に必要ではない情報は参加者には知らされません。また、本人が意図する意図しないは別にして、都合の悪い情報は隠蔽される可能性もあります。

本来、対案を出すためには、情報の共有と事前の準備の時間が必要です。その条件が揃わない段階で対案を求めるのは、真意がどうあれ、議論を打ち切って結論を押し通したいのだ、と思われてしまうでしょう。

■「直感」は案外正しい

反対するなら論理的に根拠を述べ、皆を納得させる、というのが基本です。しかし、それにこだわると別な落とし穴があるようにも思えます。

「なんとなくおかしい」「違和感がある」ということで反対した人がいる、つまり「直感」をもとにした反対者がいる場合、どう扱うべきなのでしょうか。根拠が明確ではないから、ということで切り捨ててもいいのでしょうか。

「直感」は経験知であり身体知です。これを言葉にするのは難しい。だから往々にして無視してしまいます。しかし、良質な経験を積み上げてきた人の直感は精度が高く、熟考した上で下した結論とほぼ変わらない場合が多いものです。

直感でそうした判断を下せるのがなぜなのか。理由は説明することは難しいですが、これを個人の問題に引きつけて考えてみましょう。

違和感を覚えながらも理由がはっきりしないのでそのまま進めてあとで後悔をした、と言う経験をされた方は多いのではないでしょうか。直感に従っておけばよかったな、と思ったことがある人はたくさんいるはずです。ここから推察すると、経験を積み熟知した内容については、直感はかなり正しい判断をすると考えられます。

もちろん論理は大切です。できれば直感を論理的に説明できるようになるに越したことはありません。しかしそれができないからといって、可視化できるものや論理的に通じるものしか認めない、となってしまうと大事な判断を誤る可能性が高くなると思います。

■「いまさら止められない」を止める

「対案を出せ」は適切な場面で使われれば有効に作用することもあります。しかし時に提案者が自分の意見を押し通すために使うこともあるのです。対案要求を異論封殺の手段として使ってしまう場合があるということです。逆に、対案が思いつかないから反対しない、というもの思考停止です。これでは有意義な結論を得ることができなくなります。

おそらく提案者としては「ここまで案を考えてきたのだから、いまさら止められない」という想いがあるのだと推測されます。また、その人に原案作成を指示した人(多くは上職者)からすると、何らか問題を認識して解決策としての案を求めたわけですから「なにもしない」ということは決断しにくいのでしょう。

しかし、決断することはなにか具体的なアクションを起こすことだと思われている節がありますが、「やらない決断」というのもあるわけです。「いまさら止められない」と言ってアクションを起こし、それが間違った方向に進んでしまえば、場合によっては取返しのつかない事態を引き起こしかねません。

「『いまさら止められない』を止める」という決断が必要な場面もあるはずです。リーダーやファシリテーターは、意思決定の場でこうしたことに十分に配慮しなくてはなりません。「対案を出せ」というフレーズは慎重に取り扱わなくてはならないのです。



直感力に関する記事は以下も参考にしてください。
【読書】正しい判断は、最初の3秒で決まる / 慎 泰俊

2013年11月27日水曜日

【研究会】実践経営勉強会~台東区における中小企業経営支援制度について

11月21日(木)、診断士会城北支部主催の「実践経営勉強会」に参加してきました。




この会は、月1回、診断士の他、他の士業やコンサルタント、行政担当者の方などを講師に迎えて、企業経営に関するさまざまなテーマについて勉強する会です。発足以来、150回以上継続しているという歴史のある会。

実務補習のときの指導員の先生が事務局をされている関係で参加させていただきました。というか、「会社からも近いのだから来ればいい」と言われてまして(笑)内容は興味があることが多く、もっと早く参加したかったのですが、18時スタートというのがネックになっていて、ようやく初参加できたという次第です。





今回は。台東区の産業振興課の方からお話を伺いました。今までの生活では、行政の、しかも現場の第一線で活動されている方の話を聞く機会はめったにないことでしたので、非常に参考になることが多かったです。また、診断士云々以前に、僕は荒川区の企業に勤務をしているわけで、台東区は川を挟まない隣接区、さまざまな交流もあるようですし、課題も共通するものがあると思われました。

台東区について・台東区の産業

台東区は、上野と浅草、という二大歓楽地を持っています。両者とも門前町(上野寛永寺と浅草寺)として古くから盛り場として発展してきたというのも共通点もあります。その一方、上野には、芸大もあり、さまざまな博物館や美術館を持っていますし、御徒町はジュエリーの卸の集積地ですし、さまざまな顔を持つ地域だ、ということを再確認しました。言われてみればその通りだと思うのですが、意識していないと案外気づかいないものですね。


■金融・経営支援

中小企業は約2万5千社、各種支援制度の利用率は23区で一番高いということです。利用率が高いから危ない企業が多い、というわけではないので、そこは誤解してはまずい点だと思っています。融資制度ひとつとってみてもさまざまな制度があります。積極的な設備投資のための融資依頼も当然あります。ただ、その場合でも直接金融機関と交渉するとなかなか融資が下りない場合があるので、行政が(審査の上)審査の上「融資あっ旋書」を発行し、また信用保証協会へ保証を行うことで融資をしやすくするということが一般的な流れです。

これを誤解すると、行政に支援の相談に行くと取引先から「あそこは危ないと思われる」と思いこんで、こうした支援制度を使わない経営者がいらしたりします。非常にもったいない。使えるものは使ったほうがいいに決まっています。

もちろん、昨今の不景気の影響で、セーフティーネット保証制度(取引先の倒産、自然災害、金融機関の貸し剥がしなどのより経営の安定に支障が生じた場合に資金供給の円滑化を図ることを目的とした制度)、その中でも「5号認定」(全国的に業績が悪化している業種に属する中小企業者を支援するための措置)の利用が多くあるのも事実だそうです。

経営相談は、いままでは、役所の窓口に事業者の方から出向いてくのが当たり前でしたが(いまも多くはそうです)役所の方から出向くことがあってもりいのではないか、ということで「出前説明」という制度も作られたということです。これはなかなか画期的。





さらに、地元有力金融機関である朝日信用金庫と、連携協力に関する協定を結ばれた、ということです。こうした明確な形で民間と協力するのは珍しいのではないかと思います。それぞれ思惑は違うわけでまとめるのも難しかったと思うのですが、着地点は一緒だ、ということで進められたようです。つまり、区内の事業者が元気にならないと両者とも困る、という点は一死しています。信用金庫は本来、お金を貸してナンボの商売です。貸出先が減れ、収益が悪化します。区は法人税の減収を招きます。

その一致点を大切に、お互いにできることできないことを話し合いながら進めているそうです。

■感想

もっと細かな数字や、今後の展望についてもお話を聞いたのですが、オープンに出来ない話も多く(苦笑)ここには書けません。

強く感じたことは、役所が積極的に変わろうとしている姿勢が垣間見えるということです。積極的に民間の力を活用しいこうとされている雰囲気を感じました。それはなんでもかんでも民に任せる、ということではなく、行政だからできることと民間だからできることの役割を分担していこう、ということです。

たとえば、インフラ整備を含めた総合的な企画の立案や、各種団体・商店街などの連絡調整は行政の仕事です。一方、個別の案件に関して具体的な支援策を作ったり、長期的な成長戦略を描いたりするのは行政だけではできません。金融機関やさまざまな士業との連携が必要になるだろう、ということでした。

現在の日本は、役人を叩くと人気が上がります。自称・改革派の首長やマスコミは、とにかく行政を悪者にします。しかし、僕の受けている感覚では志を高く持った行政の方も多数いらっしゃいます。(もちろん、批判されるような勤務をされている人がいるのも事実ですが、一部を突いて全体をつぶしては意味がない。


政治家の本来の仕事は、行政をうまく使って成果をあげることです。われわれ一般人にとっても、行政は利用するものだと僕は思っています。こうした志ある行政マンたちと手を組んで、地域のため、日本のために活動していく道を探していきたいと思っています。


2013年11月24日日曜日

中小企業経営診断シンポジウム

11月7日、「中小企業経営診断シンポジウム」に参加してきました。


■午前の部


午前の部は、有限会社あきゅらいず美養品代表取締役・南沢典子さんの基調講演・『自然、あまのじく、野放し。経営』でした。(副社長の松本さんとの対談形式)

失礼ながら「あきゅらいず美養品」という会社名も、南沢さんのお名前も初めて知りましたが、とてもおもしろい講演だったと思います。
(「あきゅらいず美養品」とはこんな会社です。⇒ HP

「美容品」でなく「美養品」というネーミングにこだわりを感じます。美しさを「容(カタチ)」作るののではなく、養うことからはじめる。肌を本当に美しくするのは、お化粧品でもサプリメントでもなく、「自分自身」なんだ、という想いをこめて命名されたそうです。

企業理念は「傍楽(はたらく」。「傍楽」を実現する仕組みが「三方よし」だということです。
「傍楽」は傍(はた)の人を楽(らく)にする、ということ。まわりの人の幸せにつながるはたらき方こそ、本来の仕事の在り方だ考えていることから、この理念を掲げている、というこです。そして「三方よし」は「世の中」と「売り手」と「買い手」のみんなが元気になるような、そうしたサイクルを模索し続けてモノコトを生み出していこう、ということです。

僕はあまり当て字は好きではないのですが、「はたらくとは傍(はた)の人を楽(らく)にする」、という考えは嫌いでない。というか、それが「はたらくこと」本質だという気はしています。

あらためて、「経営理念」の大切さを実例を持って知ることができたと思います。理念に共鳴して集まってきた人で構成される組織は強い。そして意思決定は早い。損得勘定とは違った判断基準が、立ち返るべき原点が、明確だから迷いが少ない。そう感じた講演でした。


■午後の部


午後は、3つの分科会に分かれての発表会。
僕はずっと第2分科会を聴いていました。
発表は以下の内容です。

  1. 6次産業化推進のための効果的な6次産業化サポートセンターの活用と運用
  2. 被災企業に対しての診断・支援マニュアルの研究開発に関する調査研究
  3. 従業員特性調査ツール「BasMos(バスモス)」の研究開発
  4. 中小企業の食品における農林水産物の中華圏販路開拓支援マニュアル
  5. 地域防災協定の締結推進に関わる提言
  6. 災害時対応型地域交流ネット(RSNC)の提案
震災に関係して、復興支援やこれから起こり得る災害に対してどんな対応が可能か、ということに興味があったのでこの分科会にづっとました。

それぞれ興味深い内容でしたし、まだまだ解決しなくてはいけない問題があるということもわかりました。そうした意味でも収穫がなりましたが、それ以上におどろいたことがあります。

2の「被災企業に対しての診断・支援マニュアルの研究開発に関する調査研究」を発表された、岩手県中小企業診断士協会の会長である、宮健先生が御年80歳であったこと。

80歳にして現役バリバリ。自ら運転をして県内をまわり、被災企業の支援などに活躍をされているということでした。

40代はまだまだ小僧。僕もあと30年、自分で運転するかは別にして(笑)、これから精進を重ねて、生涯現役で活動できるように励んでいこう、と決意してきました。

2013年11月19日火曜日

「従業員満足」で会社の業績は上がるのか?

(この記事は、シェアーズカフェオンラインから転記しました)


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「従業員満足を満たし社員のモチベーションを高めると企業業績は上がる」ということは以前から言われていることです。昨今、いわゆる「ブラック企業」が話題になるとともにあらためてその効果が見直されているようにも思われます。

しかし、本当にそうなのでしょうか。そもそも「従業員満足」とはどのようなことを指すのでしょうか。そしてそれは、中小企業にとって実現可能なことなのでしょうか。


■「働きやすい会社調査」から考える業績が上がる会社

2002年から日本経済新聞社が行っている「働きやすい会社調査」というものがあります。一定の基準で選定した企業にアンケート調査を行い、働きやすい会社かどうか、制度の有無・取組み状況を確認・評価をするものです。評価にあたってはビジネスパーソンへのインターネット調査に基づき、働きやすい会社の条件として重視する項目を確認し、回答得点にウエイトを付与しています。つまり、働いている人たちが「働きやすい」と考える条件を重視して企業の評価を行っているのです。 

質問および評価の指標は次の4つの領域に分類されます。
 ・「人材の採用・育成(採用・研修・人事考課に関する制度やその内容)」
 ・「多様な人材の活用(キャリアパス・勤務の多様化などに関する制度やその内容)」
 ・「職場環境の整備(休暇/定年・メンタル/健康管理に関する制度やその内容)」
・「多様な働き方への配慮(介護休暇/育児休業制度・時短勤務に関する制度やその内容)」 

その結果に基づく昨年のランキング(ベスト10)は以下の通りです。

■  『働きやすい会社調査 2012年ランキング』
1 パナソニック
2 日立製作所
3 東芝
4 ダイキン工業
5 ソニー
6 第一生命保険
7 富士フイルム
8 キヤノン
9 イオン
10 損害保険ジャパン 

日本を代表する企業が並んでいます。自分が就活をしていたころ、憧れだった企業も多数ランクインしています。こうした企業には、さまざまな福利厚生の制度が整備されていると聞き及んでいます。しかし、残念ながら業績的には、、、非常に厳しい状況に置かれているといわれる家電メーカーが多数並んでいます。 

つまりここから言えることは「働きやすい会社≠業績が上がっている会社」ということです。


■「働きやすさ」だけではモチベーションはあがらない?

なぜでしょうか。仮説として考えられるのは、「"働きやすさ"="制度"」だけでは業績に結びつかず、働く人の「"働きがい"="モチベーション"」が必要なのではないか、ということです。

「仏作って魂入れず」という言葉がありますが制度だけ作っても運用に問題があれば機能しません。制度がなければやる気も出ない、という側面は無視できませんが、それだけで人がやる気になるわけではないのです。

そして、別な調査(日経リサーチ「組織活性化診断調査」)で、業績が伸びている企業と縮小している企業の差を見てみると、職場環境はほとんど違いがありません。差がつくのは、「企業理念に共感できる」や「キャリアアップがはかれる」「コミュニケーションがとれている」「仕事を通じて社会会貢献が実感できる」などといった、組織インフラではなく「ワークスタイルや社会との関係性」がモチベーションの源泉になるという結果になっています。

つまり「働きやすさ(組織インフラ・制度)は確かに大事ではあるけれど、それは必要条件であって十分条件ではない。"働きがい"を指標にしたマネジメントが大切だ」と考えられるのです。

働くということはお金を稼ぐ手段であるだけでなくて、社会的存在である人間の根幹でもあります。調査結果も踏まえて考えると、「働きがい」を高めることは社員のパフォーマンスの向上に、引いては企業業績の向上につながるはずだ、という仮説は大きく間違ってはいないと思われます。そう考えれば、企業には「"働きがい"を高めるために共感できる経営理念・経営目標を設定し、それを社員と共有し実践していくこと」が求められるようになってきます。


■差別化としての「経営理念」

ところが多くの人々が経営理念は役に立たないと考えているようです。それはなぜでしょうか。
本来経営理念は組織の行動を規定するものです。個人の信念がその人の行動を決めるように、経営理念に基づいて企業の行動原理を決めていくはずです。しかし現実はそういう組織は少ないのではないでしょうか。経営理念は組織の行動原理が一致していなければ、それを「お題目」だと捉えるのも無理のないことです。いくら美しい言葉で経営理念を示してところで、それが組織設計をする上で活かされていないとするならばまさに「絵に描いた餅」です。 

特に人事制度・人事評価については、理念と行動を一致させなくてはなりません。「経営理念」に従って行動をし、結果的に赤字になってしまったような場合に「会社に損失を与えた」ということで評価を下げるようなことがあれば、従業員のモチベーション向上など起きるわけがありません。 

もちろん、理念を従業員と共有し実践するということは簡単なことではありません。個人レベルでも、信念と行動の乖離はおきます。まして企業理念は、創業者などある人間が作りあげた理念が他の人にとっても理念にならなくてはいけないわけですから、それを共有するにはかなりの労力がかかります。トップが率先垂範することはむろんのこと、経営陣が、あらゆる場面で経営理念が評価軸になるように組織を運営していかなくてはいけません。 

それでもなお私は、中小企業こそ、企業理念と行動原理の一致を目指すべき、と考えています。なぜなら、労力も手間もかかりますが、お金をかけずにできることだからです。制度・インフラを整備するには多大な費用が掛かります。そこで勝負して大企業に勝てるわけがありません。また、理念を共有することにどれほど手間がかかると言っても、組織が小さいほうが浸透しやすいことは間違いありません。そこに活路があるのだと思います。 

そして、企業理念の組織への浸透は、容易に真似ができないゆえに、「差別化」の源泉になるのです。

2013年11月17日日曜日

【研究会】「日本政策金融公庫」の創業支援

11月12日の夜、「中小企業施策研究会」に参加してきました。
以前から参加してみたいとは思っていたのですが、18時半スタートというのは、勤め人としてはなかなか難しい部分がありまして。僕にとって「今日は残業しない」というのは18時半に会社を出る、という意味なものですから、なかなか参加できずにいました。

今回、「日本政策金融公庫」の各種支援事業についてがテーマだったので、ここを逃すとずっと出ないだろうと思って、定時ダッシュで会社を出て、会場の銀座に向かいました。







基本的な部分、「国民生活事業」と「中小企業事業」の違いや、基本理念として「民間金融機関の補完を旨としつつ、社会のニーズに対応し」といったあたりは、一応、試験勉強でやったので(笑)既知の内容ではありましたが(思ったより忘れてなかった!)その他の面では、知らないことが多く、勉強になりました。

ベンチャー企業支援にしっかりと取り組まれている、ということは感じました。ベンチャーと言っても、いわゆる一般にベンチャーという言葉で想像されるような企業から、地域密着・地域需要創出型や第二創業型にも対応されていました。

特に、(僕が金融が苦手で知らなかっただけかもしれませんが)「資本性ローン」や「新株予約権付融資」といった制度は、起業がしづらいと思われている日本で、非常に有効な仕組みだと感じました。

*「資本性ローン」とは、本来は借入金にも関わらず、金融機関の債務者区分判定において自己資本とみなす、という制度です。

中小企業向けの施策はさまざまあるにも関わらず、中小企業(の経営者)がそうした制度を案外知らない、という面があると感じています。知っていればなんとかなったのに、知らないが故に苦労をしていることが多いと思います。

そうした面でのアピールは何らかの形でしていきたいと思います。別に細かいことまで覚えることはないわけです。相手の状況によって「こんな施策がある」ということが求められると思います。細かいことは調べればいいし、場合によってはもっと詳しい専門家を紹介すればいい。まずは、ざっくりとした事項について、知識の引き出しを増やしておくことが個人的な課題だと思っています。

2013年11月9日土曜日

【ご挨拶】中小企業診断士になりました

9月17日、最後の 実務補習を修了しました。

これで規定の15日分(5日×3回)を受講し終えたので、登録申請をしてきました。


先日、官報を確認したところ、10月1日付けで登録になっていました。
これで正式に「診断士」を名乗れます(笑)


ある程度予想はしていましたが、実務補習を経験して、
机上の勉強ではわからないことがたくさんあることを実感しました。
その一方で、ちゃんと机上の勉強もやっとかないといけないとも思いました。
このままだと、財務・会計についてなにも分析ができも出来ず、
よって診断もアドバイスも出来ない(苦笑)

また、実務補習はあくまで補習というもの感じています。
これで自分がなにかを出来るようになったと考えるのはおこがましい。

それでも、2月にやった第1回よりも、8月9月で参加した第2回第3回のほうが、
はるかにマシな仕事が出来たとは思っています。
結局、現場で経験を積み上げていくしかないのだと思います。

当面、独立だプロコンだ、ということは考えていません。
あくまで「『企業内』診断士」として活動していこうと思います。
この資格を取ることを、少なくとも邪魔しなかったいまの会社に、
そもそも、ろくでもない生活をしていた僕を拾ってくれたうち社長に、
それなりのものを返さないと独立もなにもない、と思っています。

今後の活動は3つの視点で考えていくつもりです。

Ⅰ在籍する会社にとってのメリット
Ⅱ会社のステークホルダー、地域社会への貢献
Ⅲ自分のありたい姿(ミッション)

ⅡもⅢも、Ⅰにつながっていくと思うし、
逆にⅠもⅡも、Ⅲにつながっていくような道筋を考えないといけないと思ってます。

実務補習が終わったということは、
これから(企業内)診断士としてなにが出来るのかが問われ始める、
という意味だと思っています。

何かの終わりは、いつだって始まりです。